第44回 人は生まれた時から死に向かって生きている   死と私No2

前回は、人の死亡率は100%です。それと死ぬ時も選べないですよね。だから、今この瞬間を大事にしたいですって話をしました。

今回は、これまで働いてきた中で感じた、周囲の人たちの死への向き合い方について書いてみようと思います。

たまに医療ドラマで、患者やその家族が手術室が上手くいかなかった事に対して怒りの感情をDrにぶつける描写ってあるじゃないですか。実際、似た状況はあります。私が経験したのは、患者さんのご家族から「なんで死ぬ前に連絡がなかったんだ!」です。

そのお怒りはよく分かります。ですが、人が死ぬ時っていうのは分からないんです。病院だから万能であるわけではありません。そんな状況にならないように、毎日状態観察を行い、普段との微細な変化を察知し、必要ならDrへご家族への連絡の必要性を上申しています。

この怒りのケースは、体感10人中1人くらいな気がします。

怒りのケースもそうでなくても、ほぼ共通して言えることは、病院で迎える死は、ご家族同席でDrが死亡確認をして死亡宣告を行っている事です。(事前にご家族より、同席しなくてよいと同意がある場合は除きます。)

「家族同席して死亡確認をしなくてはいけない」なんて契約は、一切ないにもかかわらずです。

つまり、医療者は、死亡確認するときは、家族が同席することが当たり前だと考えているという事です。この暗黙の了解は、今まで経験した3つの病院に共通しています。

この事実を、ご家族の方にも理解していただきたいです。もし、例にあげた怒りの状況になった場合の担当した医療者は、自責の念に駆られています。そこに、ご家族からお怒りの言葉を受けたらどうなるか。少しでも想像していただけると嬉しく思います。

最後に

人の死は衝撃が強いです。感情が理性を超えて自分の外に向かって出る事があると学びました。でも、人は生まれた時から死に向かって生きています。衝撃をやわらげるためにもタイムバケットを作りませんか。やりたいことをやっていきませんか。