前回までのあらすじ。
DNARの同意がなく、急変があり、蘇生を試み、蘇生ができた。しかし、自発呼吸が乏しく、呼吸器管理となっている状況。その患者さんは、でる子さん、100歳女性。主な病歴は、誤嚥性肺炎。既往歴は認知症。入院する前は、在宅でご家族と社会資源を活用しながら過ごしていた。細部は、前回ブログを参照してください。
≪≪注意≫≫
※※※今回のブログは、人によって気分を害する恐れが多分にあります。見る際は自己責任でお願いします。※※※
場面は、蘇生ができ、ご家族が来院し患者と対面後、主治医との今後についての話し合いの場面からです。
主治医「今回蘇生という状況が起こったことで、でる子さんの身体には相当な負担がかかりました。その際に呼吸器をつけました。正直、離脱は難しいです・・・現状のまま様子をみていくしかありません。」
ここで、この主治医のこの言葉は、具体的にどのような事を指しているのかとても見えづらいです。なので、注釈をつけます。
「今回蘇生という状況が起こったことで、でる子さんの身体には相当な負担がかかりました・・・。」→100歳という高齢の人間に対して、蘇生させるため身体にとても負担をかけました。負担の内容は、骨も弱い胸に対して、胸骨圧迫を約500回行いました。本人も頑張り心拍が再開しました。しかし、心拍、呼吸が止まっていた間に脳へのダメージがあり、意識が戻らず、自発呼吸もわずかです。自分で呼吸ができないため呼吸器を装着しました。
「現状のまま様子をみていくしかありません。」→呼吸器を装着すると、状況から考えて離脱(外すこと)することはほぼ期待できません。呼吸器は基本的に、一旦装着すると自発呼吸が戻らない限り外すことはありません。という事は、心臓が止まるまで呼吸器はつけたままとなります。
どうでしょうか、医師によっては、言葉をオブラートに包むことなく伝える方もいるとは思います。ですが、話の内容に違いはあれど、高齢であり身体機能が全体的に低下した人体に対して呼吸器を装着するという事は、ケアする側としても最終的に見るに堪えない状況が待っています。
高齢患者に対し呼吸器をつけた場合、どのような機序かは知りませんが、最終的(死の直前)には全身がむくんでいます。手足は2倍近くなることもあり、パンパンなった皮膚からは、どこからともなく浸出液が出ます。毎日何回も漏れた浸出液を吸ったパッドを交換します。顔もむくみにより形が変わります。点滴の刺入部からも浸出液があります。
このような患者のケアをしている看護師の間では、「終末期の患者に対して呼吸器を使用する意味があるのか?」「毎日ケアをしていて辛い。」「延命治療とは何なのか。」「ご家族は、このような状況になることを本当に知っていたのか。現状を知ったらどう思うか。」「ICは適切であったのか。」等の負の思いが聞かれ、正の感情の話は聞いた事がありません。今まで一度もです。
私は、ご家族が、最終的にこのような状態になることも理解したうえで、蘇生に同意したのなら何もいう事はありません。それが、患者、家族の意思であり、現代医療の目指すところだからです。しかし、今見てきた内容を事前に知っていたら、本当に蘇生を希望したでしょうか。
このような状況になった一因として、本来のICができていない、あなたのせいでは、と指摘があることも理解しています。
ですが、医療に携わっていな者といない者の体験、情報の差は、歴然としているのが現状だと思っています。その差を少しでも埋めるべく動画を作っていきます。
「病院のこんなことが知りたい」と思うことがあれば、答えられる範囲で答えていきますので、コメントしてください。
いかがだったでしょうか。入院したときに必要なDNARについて計5回でお話してきました。次回は、病院で亡くなった場合その後どのように状況が進んでいくのか、病院を退院するまでをお話していきます。
※この状況は、あくまで、でる丸が今までの経験から想像した架空のものです。今回の内容は、でる丸本人の考えです。他の人に強制するものではありません。